幼少時代 | 両親の、溢れんばかりの愛情に包まれながら、心身ともにすくすくのびのびと育ちました。 |
家族は他に、5歳上の姉、祖父母、そして当時は曾祖母も健在で、一番ちびっこの私は、 | |
それはそれは皆にちやほや可愛がられたものです。おかげで、泣けば何でも思い通りに | |
なる事を学習し、現在の我儘放題な性格の基礎固めを、着々と推進させていたのでした。 | |
将来の夢は、ピアノの先生。4歳から習い始めたのですが、初めての発表会は、興奮の | |
あまり “鼻血ブー” してしまい、結局ステージに立てないという、悲しい結末となりました。 | |
小学校時代 | 素直で純真無垢な少女に成長。少しばかり晩生で、3年生までサンタクロースの存在を |
信じきっていました。(でも、そこまで信じさせてくれた両親には感謝しています。) そんな | |
うぶな一面とは裏腹に、いつも優等生である事に命を懸けているような、鼻持ちならない | |
イヤ〜なヤツでもありました。将来の夢は、アイドルタレントか有名ピアニスト。獣医師を | |
目指していた時期もあります。というのも、飼っていたシェパード犬を、“ジステンパー” で | |
失ってしまったからです。その当時は、今ほど犬の予防接種が普及していませんでした。 | |
中学校時代 | とにかく勉強する事が好きでした。当然成績はトップクラスで、父親が通知表のコピーを |
家宝にしてしまうほど… でした。勉強以外にも夢中になれる世界を持ち、人生で最高に | |
モテたのもこの時期です。今思えば、心身ともに最も充実していた時代と言えるでしょう。 | |
将来の夢は、考古学者か歴史学者。鎌倉で、源頼朝氏や比企一族のお墓を見た瞬間に、 | |
何故かビビッときてしまったのでした。有名ピアニストになる夢は、指が短かくて技術的に | |
無理だと判断し、泣く泣く断念しました。人生にはあきらめも必要だと、悟り始めた頃です。 | |
高校時代 | 人より精神的な成長が遅かった為、この時期ようやく反抗期を迎えました。中学時代とは |
うって変わって、勉強もせずに遊んでばかりいたので、言うまでもなく成績は急降下・・・。 | |
一番ひどかった時には、学年でビリから5番目。そんな中、3年生の秋に、父親が病気で | |
亡くなりました。ショックでした。それを機に心を入れ替え、遅ればせながら猛受験勉強を | |
スタート。将来の夢は、メイクアップアーティスト。この職業は、日本では国家資格として | |
確立されていないので、ゆくゆくは免許制度の整ったフランスへ渡る決意をしたのでした。 | |
大学時代 | 国際文化学のフランス文化を専攻し、第一外国語はフランス語。この時期は、楽しい事、 |
つらい事、もうとにかくいろんな経験を積み重ねて、少しずつ大人になりました。当初の | |
夢であったメイクアップアーティストになる為には、美容師の資格を持っていた方が有利 | |
なので、3年生の秋、美容学校 (夜間部・1年半コース) に入学。ところがここで、いかに | |
自分が不器用かを思い知らされ、人生最大の挫折感を味わうこととなったのです。一応 | |
ハードなWスクール生活は最後までやり遂げ、大学・美容学校とも、無事卒業しました。 | |
社会人時代 | それまでに習得した極々浅い知識を、少しでも活かすべく、化粧品業界に就職しました。 |
24歳で結婚し、超レトロな社宅で新婚生活をスタート。その後、会社のパソコン業務に | |
ハマり込み、コンピューター業界への転身を考えるようになりました。結果、プログラマー | |
として華々しくデビュー。仕事はめちゃくちゃ面白かったです。しかし、時間的に不規則& | |
過酷な労働環境が徐々に心身を蝕み始め、過敏性腸症候群との診断を下されてしまい | |
ました。ここで潔く引退。“終日のらりくらり” のお気楽生活に突入し、現在に至る… です。 |